林業再生を考える

日本における材木需要における国産材の使用比率を皆さん、ご存知でしょうか?このHPをご
らんの方ならご存知だと思いますが、たった2割です。8割は海外から入ってきています。
この比率がおそらく日本の林業をもっとも象徴している数字ではないでしょうか。

ではなぜこのようなことになってしまったのか、日本の林業、林野行政の戦後史を知らなくては
理解出来ません。

戦後の林野行政

S22年 独立採算制の導入
 林野庁は、国家企業の一種として国有林経営の成果や財政状態を分析し事業能率の増進
や経営の合理化を図り、林産物の安定供給はもとより、森林資源の保全管理に貢献するため
に設けられました。国の一般会計から分離された林産物販売による独立採算制会計制度をと
っている。
 まあ簡単に言うと、戦後木材需要は非常に逼迫していて、お役所でありながら税金など投入
しなくても十分やっていけたわけです。とにかく木材は不足していました。世論は、戦後の伐採
が里山に集中し、里山が荒れるということで奥地未開発森林の開発を行えばよいというもので
した。
 
S36年 木材輸入自由化
 依然として木材は不足しており、そのため価格が上昇し、価格抑制は急務でありました。こ
の年木材の貿易自由化が完了し、外材が自由に入ってくるようになったが、需要が強いため
に木材はまだ値上がりする。
 この状況が、独立採算であり、企業としての側面を持ち、かつ林野庁として国の機関である
がゆえ、間違った方向へと進む結果となってしまったのです。
 輸入自由化で不足する木材が入ってきて価格が値上がりする。貿易赤字による国際収支の
状況悪化というお国の事情が出てきたのです。木材価格の動向のため国有林も増伐を行う結
果となりました。昭和38、39年の国有林の伐採量は2400万立米近くになり現在の3倍以上の量
です。
 その後国有林も伐採量を資源保全の立場から伐採量を落とそうとするわけですが、昭和43
年の新聞社説では、依然国有林の伐採制限の緩和を主張する状況でした。
当時、輸入額は石油、次に木材という時、世論と時代の要請が林野庁を無謀な伐採へと進ま
せたわけです。

S45年 国有林会計赤字化
 当時の為替相場について少し説明します。日本は、1949年に1ドル=360円の単一為替相
場が定められ、1958年にIMF(国際通貨基金)によりIMF平価として登録されました。 1971
年8月にニクソン・ショック、いわゆる金とドルの交換停止による混乱から12月には対ドルで1
ドル=308円(16.88%の切り上げ)になりました。そして1973年の第一次オイル・ショックの
年に変動相場制へと以降することになりました。つまり円の価値はどんどん高くなっていきまし
た。
 この高度経済成長時代に入ると拡大造林が始まりした。拡大造林とは天然林を伐り払って
成長が早い人工林に変えていくことで日本の天然林はスギ、ヒノキ、カラマツに変えらていきま
した。その結果、現在では全国で人工林は1000万ヘクタール以上にもなりました。
 しかし、強い円のおかげで石油が安くなり、薪、炭の需要の激減、安い外国材の流入は増加
の一途をたどり、一方成長量を無視した伐採により国内の木材資源は劣化、減少の一途をた
どります。よって国内林業は不振に陥いります。
 その結果、国有林から得る収入では、森林保護どころか林野庁職員の人件費すらおぼつか
ない状況になってしまいました。

S51年 財政投融資からの借り入れ開始(この時負債400億円)
 こうして毎年積み重なる 赤字は、一般会計から繰入れし、その赤字を財政投融資から新た
に借り入れるという悪循環をくりかえした。そして、ついに96年度の累積債務は3兆5000 億
にものぼってしまったのです。
 なぜここまで赤字が累積してしまったのか、先にも述べましたが、林野庁が官庁側面と企業
体としての二面性があったからといえます。企業としていかにスリムに効率よく行うことができ
るかを突き詰めなくてはならない反面、適用される法規があまりにも多いため事務用が膨大に
なり企業性が損なわれるという実情がありました。
 しかしこれはかなり役所側にたった見方であります。今の現状から考えると、そんなのいいわ
けにはならないと思われます。日本の国土を守っている森林をどのように保護と経済性の立場
からしっかりと管理していくのか考え実行していくのが林野庁であるはずです。それをその時の
国の経済事情に都合よく利用されてしまったのです。

 




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